私には創りたい世界があります。
それは「すべての人がやりたいことを一緒にやれる世界。
そして、誰からも見下されない世界」です。
想像してみてください。
やりたいことを1人でやってもいいし、だれかとやってもいい。
その誰かとは、家族や友人かもしれないし、仕事仲間かもしれない。
近所の小さい子どもかもしれないし、おじいちゃんおばあちゃんかもしれない。
日本の人だけではなく、言葉の違う地球の裏側の人とも一緒にできる。
「これやりたいんだ!」と言うと、「それ、いいね!」という人が5人、10人、100人、1000人、100万人と集まる。
それが地球上の至るところで同じやりたいことをする人が集まる。
そんな世界です。
しかし、現実はどうでしょうか?
小さい頃にやりたいことをなかなか言葉に表現できなかった。
あるいは、言っても周りの大人から「それは無理だ」と言われた経験がありませんか?
やりたいことを口に出しても、学校の先生や友人から、「それは出来ないよ、諦めたほうがいい」と言われる。
そして、大人になってからは、「お金のため」「生活のため」「家族のため」と自分のやりたいことを犠牲にして、日々を生活する。
そんな人生を歩んでいないでしょうか?
すこし大きな視点で見てみましょう。
世界の中で貧しい国はアフリカに多いです。
西洋諸国の植民地支配から独立してからも、紛争が多く生活が安定していない国ばかりです。
1人あたりの年間GDPが1番低いのが、中央アフリカ共和国。
年間656ドル。日本円だと約72,000円。
1月あたり6000円です。
大人も子どもも1ヶ月当たり生活するのに6000円しかお金が無いのです。
そんな国で暮らしていて、やりたいことはできるでしょうか?
お腹いっぱいになるまで食べる。
それすら出来ないでいる人がほとんどだと思います。
そんな現実がこの地球上で起きています。
なぜ、このような現実が起こるのでしょうか?
私なりに考えました。
そして、1つの結論が出ました。
それは、誰かが誰かを見下しているからです。
今まで、あなたは誰かから見下された経験があったと思います。
でもよく考えてみてほしいのです。
誰かがあなたを見下しているということは、あなたも私も誰かを見下したことがあるということなのです。
そして……。
自分が1番見下してきたのは他ならぬ自分自身なのです。
私は自分を見下す人生を歩んできました。
1番最初は生後8週間の頃。
乳飲み子の私は母親のそばから離れたくないのに、母は仕事に行ってしまいました。
どうがんばっても一緒に居てもらえない。
愛してもらえない。
自分は願ってもかなわない人間なんだ、を見下し始めたのです。
そんな私も中学・高校時代は陸上部でひたすら走る日々を送りました。
そのときは、自分のやることに集中していて、自分を見下している暇がなかったのです。
努力している自分を褒め、励ますことができました。
お陰で、高校インターハイに高2の時は400m、高3のときは200mで出場することができました。
やがて大学生になり2年のときに統合失調症を発症します。
向精神薬の影響で、7号の洋服を着ていた私は13号がきつくなるまで太りました。
強い薬だったので頭がぼーっとしていました。
雰囲気も陰気になりそれまでの友達が離れていきました。
「私は精神病患者だから、ダメな人間なんだ。」とひたすら自分を見下しました。
結婚することができて、仕事することが出来ても、自分を見下し続けました。
そんな私にまた見下さない機会ができました。
それは社交ダンスとの出会いです。
音楽に合わせて、男性とも呼吸を合わせて踊る。
それがなにより楽しかったです。
夢中になることがあると、自分のことを見下さなくなります。
競技会に出場するようになり、級が上がることに喜びを感じました。
しかし、競技のためのパートナーとカップルを解消してから、また見下すようになりました。
そして、とうとう毎日寝込むようになりました。
相変わらず精神薬を飲んでいました。
こんなに人生うまくいかないのは、環境のせいだと思い、離婚を決意しました。
家の中の物をどんどん捨てた結果、離婚することができました。
その後、決意して向精神薬も卒業しました。
振り返ると「平成」という時代、ずっと薬漬けの生活をしていました。
そして、今のパートナーと出逢いました。
彼は、私が何を言っても何をしても、絶対に見下さない人です。
そんな彼と一緒に居ることで、私自身を見下す必要がないことに気がつきはじめました。
そして、すこしずつやりたいことをやれる勇気を持つようになったのです。
そして、ある日大きな発見がありました。
見下している自分は主観的なもの。
人から見ると、自分に素敵なところがある。
それを私の周りの大切な人から教えてもらえたのです。
そう。
自分を見下す必要がないのです。
自分には、ダメなところもいっぱいあります。
でも素敵なところ、よいところもたくさんあるのです。
どうしても自分については過小評価しがちです。
とても辛口な点数をつけてしまうのです。
でも、それは主観的な見方なのです。
人から見れば違う。
人が褒めてくれるところは素直に受け取る。
自分には見えない部分を見てくれているのですから。
まだ気持ちに余裕がなくなったり、人と意見が衝突したりすると、まだ見下してしまうときもあります。
でも、また「見下さなくていいんだ」というところに戻ることができるようになりました。
もし、あなたが自分自身を見下しているのだとしたら、あなたは辛い想いをしているでしょう。
でも、本当はしなくていいんです。
見下す必要がないのです。
だって、あなたには素敵なところがあるのですから。
人に褒められたとき、どうぞそのまま受け取ってください。
あなたのことを素敵ですよ、と言ってくれる人の気持ちを受け取ってください。
「だれも私のことなんて、褒めてくれない!」と言うのであれば、私に褒めさせてください。
私は人の良い部分を見つけて褒める才能があるからです。
でも……。
なにより最良の方法があります。
それは自分自身を褒めること。
自分って素敵だね、と認めること。
これなら、いつもでどこにいても、1人で出来ます。
ただ、いきなりそれはハードルが高いと思うのであれば、ぜひ周りに褒めてもらってください。
繰り返しますが、褒めてくれる人がいない人は是非、私のところに来てください。
あなたの素敵なところを見つけて褒めますから。
すべての人がやりたいことを一緒にやれる世界。
ぜひ一緒に実現してもらえると嬉しいです。
長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
心からの感謝を込めて。
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